献眼者のご遺族の手記
息子の交通事故後、警察からの連絡で病院にかけつけた時には、息子は集中治療室で土気色で、管だらけの体で横たわっていました。
私は、「どうせ助からないのなら、せめて息子の体の一部でも良いから、誰かの中で生き続けて欲しい」という気持ちが抑えられなくて、家族と話し合って角膜と腎臓の提供を申し出ました。
アイバンクの方から、2人の方が光を取り戻されたことをお聞きし、たとえ姿は見えなくても、私たち家族と共にいるという存在感を持つことができ、本当に心が安らいでいます。
(息子さんの眼を提供した母親)
移植者の手記
目が痛くて開けていられなくなり眼科の先生に診てもらうと、目の黒いところの中心が出っ張っており、それに傷ができていて開けていられないらしい。
薬をいただいて毎日差していると痛みもなくなりましたが、角膜移植をしないと視力が元に戻らないと、衝撃的なことを告げられました。
角膜移植の申込をして、何ヶ月先になるか、何年先になるか分からない角膜提供者を待つことにしました。
4か月が過ぎようとした頃、提供者が現れました。
見えるようになるかもしれない喜びと不安、提供者の方やそのご家族への感謝の気持ちで手術を受けました。
手術を受けて7か月後には、眼鏡も作れるようになり、目の表面も検診の度にきれいになっていると言われました。
応援してくれた家族、先生方に感謝しています。
それ以上に、提供してくださった方、そのご家族の方、本当にありがとうございました。
日ごとに見える喜び、感謝の気持ちでいっぱいです。
(30歳代の女性)